近世系図堂について

1 近世系図堂の目的

江戸時代の大名は、自分に子がない場合でも、弟や甥、妻の親族、婿、あるいは分家の者に後を継がせることによって、藩祖の血が絶えぬよう、気を配ってきました。

このウェブサイトは、大名各家が、どのようにして血統を伝え、現代までそれをつなげてきたかを考察するものです。

また、大名に加え、交代寄合、高家及び各藩の家老についても、幕末までの範囲で、同様の考察をしました。



2 掲載した家

大名については、慶応3年12月9日(1868年1月3日)の徳川慶喜征夷大将軍職辞職から明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県までの間に廃藩となった藩を統治していた家の系図を掲載しています。

交代寄合、高家及び家老については、徳川慶喜征夷大将軍職辞職の時点で交代寄合、高家及び家老であった家の系図を掲載しています。

なお、「家老」とは、このウェブサイトでは、大名家の家臣の中で1万石以上を与えられている家をいい、その藩における名称(人持組頭、御一門、一家など)や藩政への関与度等は問いません。一方、藩内で家老ないし家老格といった地位を与えられていても、1万石未満の家臣はすべて「家臣」と表記しています。



3 系図の範囲

掲載する家の系図の範囲は、大名については、慶長8年2月12日(1603年3月24日)の徳川家康征夷大将軍任官から、現在までとしています。

なお、吉川家については、江戸時代を通して、独立した大名として扱っています。

交代寄合及び高家については、現在までではなく、徳川慶喜征夷大将軍職辞職までとしています。

家老については、徳川家康征夷大将軍任官以降でその家が初めて江戸幕府の直臣又は大名の家臣となった時点から、徳川慶喜征夷大将軍職辞職までとしています。



4 系図の見方

原則として実際の親族関係を表しており、これは実罫線(─)でつなげています。

他家から女婿を迎えた場合は、二重線(=)でつなげています。

姻戚関係のない養子を迎えた場合は、矢印(→)でつなげています。

ある人物につき、実子、養子が複数ある場合には、生まれた順序に関わらず、男子の実子、女子の実子、女婿、姻戚関係のない養子の順に記載しています。

なお、当主同士に、系図上掲載しきれない姻戚関係が存在する場合は、下部に補足系図を掲載してあります。


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